貧困とは何か?定義とその歴史的な捉え方の変化
はじめに
「貧困」という言葉は日常的に使われますが、その具体的な意味や定義は、文脈や時代によって異なることがあります。特に、国境を越えた世界の貧困問題を考える上で、「貧困」という言葉が何を指すのか、その基本的な理解は不可欠です。
この記事では、貧困の基本的な定義と、歴史を通じて貧困がどのように捉えられてきたのか、その変化について分かりやすく解説します。
貧困の基本的な定義
現代において「貧困」が指す状態は多岐にわたりますが、一般的には、人間らしい生活を送るために必要な資源(所得、食料、住居、医療、教育など)が十分に得られない状態を指します。
国際的な貧困問題の議論では、主に経済的な側面から貧困を測定することが多くあります。代表的なものに、世界銀行などが用いる「絶対的貧困」と、より広い概念である「相対的貧困」があります。
- 絶対的貧困: 生命を維持するための最低限の衣食住さえ確保できない状態を指します。国際的には、1日あたり特定の金額(例えば1.90米ドル、購買力平価に基づき調整)未満で生活している人々を絶対的貧困にあると定義することが一般的です。この基準は、開発途上国における最も深刻な貧困状態を捉えるために用いられます。
- 相対的貧困: その社会の一般的な生活水準と比較して、著しく低い所得や生活レベルにある状態を指します。例えば、国民の所得を低い順に並べたとき、中央値(真ん中の人の所得)の半分に満たない世帯の割合などで測られることがあります。相対的貧困は、経済的に豊かな国であっても存在し、社会的な孤立や機会の剥奪につながることが問題視されます。
これらの定義は、貧困の異なる側面を捉えるための重要な指標ですが、貧困は単に所得が低いというだけでなく、健康、教育、衛生環境、政治参加の機会など、様々な側面で人間らしい生活を送る上で必要なものが欠如している状態、つまり「多次元的な剥奪」を含む概念として理解されるようになっています。
貧困の歴史的な捉え方の変化
貧困という現象そのものは人類の歴史を通じて存在してきましたが、それが社会問題として認識され、どのように捉えられ、対策が考えられるようになったかは、時代と共に変化してきました。
- 前近代: 多くの人々が農業に依存し、自然災害や疫病が頻繁に発生する時代においては、貧困は生存そのものが脅かされる状態、飢餓や困窮と同義であることが多くありました。貧困は個人の不運や能力不足、あるいは共同体からの脱落と見なされる側面がありましたが、同時に相互扶助の仕組みも存在しました。
- 産業革命以降: 都市化と工業化が進む中で、貧困は都市部の労働者階級の劣悪な労働環境、低賃金、失業といった社会構造が生み出す問題として認識されるようになりました。社会保障制度の萌芽が見られ始めたのもこの頃です。貧困は単なる個人的な問題ではなく、社会全体で取り組むべき問題であるという考え方が徐々に広まりました。
- 20世紀後半以降: 第二次世界大戦後、世界の多くの国が独立し、国際的な開発協力が進む中で、貧困は一国だけの問題ではなく、地球規模の課題として捉えられるようになりました。特に冷戦終結後は、開発途上国の貧困削減が国際社会の重要な目標の一つとなります。 この時期には、貧困を測る指標として「絶対的貧困線」が設定され、開発援助の効果を測る試みがなされました。また、アマルティア・センなどの経済学者は、貧困を単なる所得不足ではなく、人々が「何をすることができ、何であることができるか」という「ケイパビリティ(潜在能力)」の剥奪として捉える考え方を提唱し、貧困理解に多角的な視点をもたらしました。 国連開発計画(UNDP)が提唱する人間開発の概念や、後に国連ミレニアム開発目標(MDGs)、持続可能な開発目標(SDGs)といった国際目標が設定される中で、貧困は経済的側面だけでなく、教育、健康、ジェンダー平等、環境など、様々な要素と関連する複合的な問題として認識されるようになります。
まとめ
現代の貧困は、単に所得が低いという状態だけでなく、衣食住、健康、教育、機会といった人間らしい生活を送る上で必要な様々な要素が不足している、複合的で多次元的な状態として理解されています。
また、貧困の捉え方は歴史を通じて変化しており、かつては個人的な問題と見なされがちだったものが、社会構造や国際的な課題と深く結びついた、地球規模の問題として認識されるようになりました。
貧困問題を理解する上で、これらの基本的な定義と歴史的な背景を知ることは、議論の出発点として非常に重要です。
この記事が、貧困問題への理解を深めるための一助となれば幸いです。